自分が今生で生かされていることに感謝するのと同時に士魂商才を地でいくような生き方は理想的です。
士魂商才とは、商人として抜け目ない商才と才能を持ちまた武士としての精神を併せ持っているという意味です。
今日は士魂商才について書きたいと思います。
士魂商才は現代でも生き方のひとつの姿として実践できるのか?
わたし自身は中学生の頃から武道家に憧れて自分の行くべき道をノートに書いては消し、また修正箇所があるとノートを開いて毎日書き直していました。
中学生の前の前、話しは幼稚園の頃に遡ります。
わたしはカソリックの幼稚園に通っていました。
シスターと友達に囲まれて幼稚園時代を過ごしたのです。
そんな幼稚園での出来事は今でも鮮明に覚えています。
朝礼でいつものように園長シスターの話しを立って聞いていた時のことでした。
子供ながらに園長シスターの話しはいつまで続くのかなあ、、、
と考えていました。
するとわたしの目の前が急に真っ白な色に覆われてやがて目眩を感じたのです。
そのあとの出来事ははっきりと覚えていませんが、バタンと地面に倒れたわたしをシスターはおぶって保健室に連れて行ったのではないかと思います。
そうです。
わたしは貧血の持病を持っていたのです。
暫くすると目が覚めますが、枕元にはいつも親父が立っていました。
親父はわたしの顔を心配そうに覗き込みわたしの名前を呼んで、大丈夫か?
といつも言っていたのを覚えています。
そのあと、小学校に入っても貧血は良くなりませんでした。
50m走や100m走の際に、わたしはいつもゴールの白いテープを見ながらバタッと倒れていました。
それから中学生になって親の勧めもあってわたしはテニス部に入ったのです。
テニスはコートの中を走り回ることもあるのでマラソンが日課になりました。
その時わたしは自分が何か変われる予感めいたものを感じたのです。
それからは100m走を走っても貧血は起きなくなり、ゴールテープを切れるようになりました。
その頃から未来ノートを書き始めたのですが、そのノートは高校生になっても続けていたのです。
身体が少しばかり強くなったわたしは武道に興味を抱くようになりました。
ものを書くことにも興味があったので文芸部と身体をもっと鍛えたいという思いから空手部に入部したのです。
空手は寸止めでしたが、組手は毎日のようにありました。
その時に読んだ沖縄空手の本に武道の真髄をみたのです。
まさに士魂商才の士魂に最初に触れたのです。
沖縄空手は武士の精神を体現した武道だった。
沖縄空手の原点は何もない、つまり戦うツールは素手だけという状態から肉体を鍛え上げて戦いに挑んだ武術です。
サトウキビを拳で突いたり回し蹴りを足でして己の肉体を鋼に変えていきました。
わたしもありとあらゆるツールを使い肉体を虐め抜いたのでした。
士魂に触れたくてバッタバッタ倒れていた頃からわたしはそこまで這い上がりました。
士魂商才に思うその1のまとめ
1:沖縄空手は士魂商才の士魂を感じる最初の出会いだった
2:貧血がなくなったら身体を持っと鍛えたいという欲が出てきた
3:その1は序章に過ぎなかった
また書きまーす。
お読み頂きありがとうございました。