光陰矢の如し
あまりに有名なことわざですね。
今日はそのことわざを思い出した出来事があったので書こうと思います。
光陰矢の如しあまりに早い月日の流れに我を忘れました。
今日いつも行くスーパーとは違うスーパーに行ったのですが、、、、
かつての教え子に出会いました。
わたし自身はとても動体視力が良く一瞬で周りの景色の中から必要なデータを選別して必要なデータだけ素早く脳内のスーパーコンピュータに入れることが出来る能力があります。
こう書くと、おまえはスーパーマンか!と突っ込んで欲しいのですが、実はそーなんですな。
ははは
人には取り柄というものがひとつはあるものですがわたしの場合にはまさにその動体視力の能力がそうでした。
これは運転にも生かされていて周りの状況を一瞬で判断する能力がどうもこの時に発揮されるらしく咄嗟のことがスローモーション的にわたしには写って行動に移せるらしく事故らしい事故はありません、、、、
いえ、、、
一度だけ、コツンと前の車に当てたことがありました。
それはあまりに忙しい日々が続いていて睡眠不足でハンドルを握っていたときでした。
環八が渋滞でノロノロ車が連なっていて、そしてまた動かなくなる最悪の状況のときのことです。
何回も自分の頬やスネをつねり眠気を追いやりながら運転を続けていたのですが、限界を超えた睡魔に襲われてしまったのです。
気づいたら前の車にコツンと当たり目が覚めたのです。
幸い時速にして5km以下で前の車の運転手さんにも車にも当てただけの本当に軽い事故でしたが、わたしは猛省しました。
もちろん警察を呼び保険で処理させて頂いたのですが、、、、
やはり動体視力がどんなに良くても睡魔には勝てませんでした。
あっ、話しを元に戻しますね。
そう、スーパーの中で教え子を目ざとく見つけたまでは良かったのですが、教え子のオーラがあまりに酷くて、一瞬、ん?人違いかな??
いやまてよ、俺のセンサーに引っかかっているから間違いない。
わたしは教え子の名前を少し離れた場所から呼びました。
するとやはり間違いではなく教え子本人でした。
いろいろ話しをしているうちにいまの状況があまりに変化したものでそのことで元気がなかったのだとしりました。
光陰矢の如しを現実にしたときに人は歳月の速さと重みを知ることになる。
教え子との再会は大変嬉しかったのですが、同時に歳月の速さと重みを知ることになったのです。
教え子のオーラの色が精神的に落ちてるものを現していました。
わたしは思わず後ろに周り肩から背中を揉んであげたのですが酷いコリがこびりついていたのです。
あまりに循環が悪くなっていたので揉んだのですが、可愛そうになってしまいました。
しかし、暫くすると教え子に少し明るさが戻ってきたのですが、この時ほど光陰矢の如しのことわざを実感したことはありませんでした。
たまには遊びにおいでと言って別れたのですが歳月はひとに考える時間を与えてくれます。
あなたにも光陰矢の如しみたいな現実を感じた瞬間はありましたか?
今日はこのことわざを取り上げてみました。
光陰矢の如しのまとめ
1:歳月の速さと重みを知ることは空白になった時間を埋めていくが同時に現実をも感じさせる。
以上です。
お読み頂きありがとうございました。